2015
01.05
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銀だこのホットランド創業者の成功談、マザーズに上場するまでの道のり

会社四季報

銀だこは上場を果たし、いまでは快進撃の勢いですが、そこまでになるまでは苦労の連続であったとポストセブンに掲載されていました。

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150104-00000002-pseven-bus_all

銀だこ創業者の生い立ち

「実家が祖父の代から続く鉄工所でした。3時の休み時間になると、いつも婆ちゃんや母ちゃんが焼きそばを焼いて、住み込みの職人たちと皆で食べるんです。それが本当に旨かった。皆でキャッチボールしてくれたりして、僕も凄く楽しい時間で、3時になるのが待ち遠しかった……」

若い時はちょっと成功すると工場に投資し借金

「28歳の頃、横浜の中華街でアイスまんじゅうが爆発的に売れて、実家に兄貴と組んで1億かけて工場を作ったんです。そしたら途端に売れなくなって。守男と組むと身上を潰されると親に勘当された(笑)。銀座で自転車に積んだアイスキャンデーを売ったり、高速のサービスエリアでジャガイモふかして売ったり、ありとあらゆるものを売って借金は返しました。これは売れると思うと、つい工場を作ってしまうんですよ」

銀だこの成功が実家の家業を救った

 昼食時以外にもコンスタントに売れるたこ焼き一本に絞ったのは1994年のこと。大阪に住みこんで食べ歩き、タコ、粉、天カス、青海苔の専門家から教えを請い、3年の研究の末「外はパリッ、中はトロッ、タコがプリッ」という独特の食感を完成させる。

「銀だこが出来たとき、これは行けると確信しました。その頃、実家の鉄工所が潰れかけていて、3億も借金があることがわかった。僕は勘当されていたけど、親兄弟を守ろうと社長になって、鉄工所をたこ焼きの機械の製造工場にしました。機械を売るには、どんどん出店していくしかない。気づくと1年半で借金がなくなっていた。アレは本当に奇跡でした」

 

銀だこって昔は美味しくてよく食べたけど、いまはたこ焼き高くて、たこ焼きを食べなくなってしまった。

大阪の道頓堀も自分が高校生の時代ではたこ焼き屋台だけで家が建つというくらい稼げていた。それがいまの道頓堀に行くと、一部の店舗がたこ焼きを売るだけでたこ焼きのお店が本当に少なくなってしまった。

逆に牛丼屋など、何処にでもあるファーストフード店が出店してきて、観光地もここに来てわざわざ食べるという文化が崩壊してきていっている。

そんな中でも銀だこの味はやはり素晴らしいと思う。ただ、高すぎなんだよね・・・。

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