2015
01.12

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話の書評

コラム

子供の教育の本は出るもの出るものほぼすべて目を通しています。

今回は、強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話というものです。

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 (一般書)
強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 (一般書)

探究心を育てる重要性というのは自分の幼少期の周りを見てもよく思いました。こういったことが子供の時に十分に育っていないと、中学、高校となる頃に挫折すると、そのまま一生挫折してしまうケースを良く見ます。

 

フリーターになる人、ニートになる人と高学歴でビジネスパーソンになることを親が望んでもそうならないケースが非常に多いことを経験から見てきました。

幼児教育でドリルなどをやらせても所詮、幼稚園、保育園ではあいうえおが言える字が読める。数字が100まで数えられる。そんなのです。

これはいくら出来なくても小学校1年生、2年の年齢になれば誰でも出来るようなことです。

 

それに脳の医学的に書かれている本を見ても幼児期の記憶が覚えるのも早い割に忘れるのも早い理由が書かれています。

ニューロン細胞がどんどん出来るため過去の記憶の上に細胞の根が広がり、記憶を取り出しにくくするというものでした。ならば幼児期だけに英語をやらせること何の意味があるのかと思うようになりました。

 

いま実際にやらせていることは体験学習です。

宇宙博物館など、宇宙系にはよく連れて行きます。毎日のようにドリルで計算や文字などもやらせていますが出来る出来ないかは自分にとってどうでもいいわけです。勉強が嫌いにならないで鉛筆を動かして椅子に座れば幼稚園低学年、年中では十分です。

でも、毎日適当にそういうのを15分ぐらいやっていると自然に出来るようになるんですよね。ドリルなんて1冊350円なのでどんどんやらせて瞬殺で終わるページばかりですがお金が無駄は言わず、1枚終わるとゴミ箱に捨ててます。それでまたドリル買えばいい。塾に行くよりも安いという考えです。

 

この年齢になると他所の家では、公文に通わせて、ああいうことも出来る。こういうことも出来るのよっていう話を聞きますが、その家が医学部を目指しているわけでもありません。

そういう話を聞いても「あっそ」って感じでどうでも言い訳です。

 

本物の実験用スポイトを70円でAmazonで購入し、200円くらいの入浴剤をゆず、森林、ブルーなど様々な着色を用意し、お風呂でスポイトと色を混ぜる実験のまね事とかさせている方が自分はいいわけです。

 

おもちゃではなく本物を与える。公文式は所詮フランチャイズ式の教室でそういうのに興味があるおばちゃんの個人の家でドリルを学習するわけです。

ドリルの学習では自分が求めている教育にはまったく足りないのです。

 

さて、プラモデルでも買うかっていうときに嫁さんは作れるの?と聞きますが

3歳、4歳でガンダムを一人で作れるわけないじゃないですか。なので無駄になると云いますがプラモデルなんて作って完成させようが途中まで組み立ててゴミになろうが改造しようが自分にはどれもお金を使った行為になるわけです。

完成しなくても興味を持たせてやらせるということが重要です。

設計図を見て作ろうとする行為が重要であり、単に何かを作らせて、損をしたくないならレゴなどのブロックを買っておけということになります。

 

映画を見せたり、ディスカバリーチャンネルを見たり、とにかく世の中の色々なことを先に体験させたり、知るようにさせたいわけです。大人の実生活に入って、あのとき勉強しておけばこんな人生じゃなかったのになぁという後悔を学生時代に考えられる脳を作りたいわけです。

そこまでにするには様々な体験と子供の探究心を育てる必要があります。

 

今回読んだこの強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話という本は、子供の探究心について非常によく書かれています。インプットとアウトプットが重要ですがそれを実生活の何処に入れていくかが重要になっているわけです。

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